大河ドラマが坂本龍馬になってからは、やはりかなりの数の幕末関係の本が出てきています。
中にはブームに乗っての便乗出版ではないかと思われる、かなり有名な人の本まであって、気をつけないといけません。
とはいえ、勝海舟や山岡鉄舟などが好きな私にとっては、幕末の実際を想像するための、よい機会ではあります。
結構批判されてしまうのが、やはり大ボラ吹きだったと言われる海舟。残っている海舟座談だとか、海舟余波などをそのまま読んで、「ええっ、まさか」なんて思った人は、ある意味正しいとは思いますが、現役を退いての内容、しかも口述筆記では、ある程度のボケやハッタリやホラや記憶違い、筆記ミスなどがあってもおかしくないのではないか…。そのように考えながら、他の関係者に関する本を読み返したりして、実際に何が起こっていたのかを想像するのも、また楽しいものです。 続きを読む…
意外と理解されていないのが、この横浜開港150周年であるという事実。
横浜市では大々的なイベントを継続しているので、私も時間を作って是非とも気になる展示などを見たいと思っています。
ベストセラーとなった、尊敬する半藤氏による幕末史も、薩長側ではなく幕府側の見方から書かれているというので、是非とも読んでみたいところなのですが、図書館でも貸し出し中で中々目に触れることが出来ないのが残念です。
あと咸臨丸がサンフランシスコに到着して、来年がちょうど150周年です。
私が以前出張中に立ち寄ったサンフランシスコの海洋博物館 (Maritime Museum )には、堀江青年のヨットの展示はあったけど、咸臨丸に関する展示はなかったなぁ。
このあたりも変化が出てきてくれることを期待しています。
そういえば咸臨丸の乗組員の目から見た話をベースにしたいくつかの本では、艦長だった勝海舟はとんでもない役立たずだったように書かれています。
ある一面ではそうだったかも知れませんが、勝と福沢は仲が良くなかったことなどを考えに入れると、それを全て鵜呑みにするのは、どこか偏っているのではないか。
そう思わせるものがあるので、「本当にそうかな」と考えたりしながら、咸臨丸に関する本も読んでみたいところです。

既にご存じの方もおられますが、WordPressによる英文blogである武士道ジャパンを何とか運営しているのですが、武士道というか、武士の言葉を紹介したいので、自宅の本や図書館の本などを色々と当たってはみたものの、これが実に難しいのです。
武士道と言えば、やはり新渡戸稲造の本を思い出すか、あるいは山本定朝の葉隠れか、はたまた鈴木大拙の禅の本か…。
でもこれらは英訳されているかご本人がはじめから英文で書かれている本があり、それをベースにした解説本が山ほど出版されているので、そんな内容を扱ってみても全然面白くありません。 続きを読む…
今日の篤姫は、そろそろ江戸城無血開城に向けての話の展開になっています。
篤姫は確かに面白いし、幕末史を考え直す契機にもなりますが、私の知人たちのように、あれをそのまま信じてもらってはねぇ、と思います。
やはり大人気の大河ドラマは、ある部分はそれなりにデフォルメされているので、それを承知の上で、時には感情移入しながら楽しく見るべきでしょう。
そんなことを考える前に、この間は、幕末三舟の一人である、山岡鉄舟の書の展示があったので、鉄舟ゆかりの寺である、谷中の全生庵であり、はじめて行ってみて、不思議な感動を覚えて帰ってきました。
何だか最近は幕末付いているなぁと思いつつ昨日駅近くの某書店に立ち寄ると、ありました、勝海舟を動かした男大久保一翁―徳川幕府最大の頭脳
なる新刊本が。
こんな新しい切り口での本こそ私が求めていたものなので、すぐに買って帰りました。


まだ読み始めたばかりですが、以前このブログでも書きましたが、勝海舟を見いだした名伯楽がこの人。
篤姫の影響なのか、今年はやけに幕末関係の出版が目立ちます。
それはそれで、貴重な資料が増えるので、私としては大歓迎です。
ところでこの大久保一翁、この本を読んだ限りでは、かなりの知性派であったことと、その無骨で実直な性格が災いしてか、何度も左遷されてはまた登用されるを繰り返していて、部下であった勝海舟と同じにおいのするところがあるのです。
そんな彼の生き方に、私は強く惹かれるのです。
江戸時代末期にあって、すべてにおいて頼るべきは一翁と海舟 だと言われた、この人のような優れた人が、幕府の要人の中にもっといたならば、幕末から明治維新への動きも、もっと違ったものになっていたのかも知れません。
(続く予定)
篤姫にも、そろそろ勝海舟が登場してくる段階になったので、ますます目が離せません。今夜も楽しみです。
勝海舟や山岡鉄舟などが好きで、いろいろと調べている幕末の人物ですが、ここでちょっと脱線して、幕末史から太平洋戦争の重要人物への意外な関係について、気がついた範囲内で書いてみることにします。
まずは山岡鉄舟の剣の修行に関係したことから。
彼は剣と禅を念頭に置いた凄まじい修行の末に無刀流を生み出したのですが、その第4代宗家としての立場を持ち、連合艦隊参謀長も勤めた、海軍中将の草鹿龍之介がいます。
その太平洋戦争での草加参謀の言動を探ってみると、真珠湾攻撃の第2次攻撃をためらう南雲にその必要は無いと具申したりだとか、ミッドウェーの敗戦の原因であるとか、さんざんぼろくそに書かれています。
でも私はまたしても「本当にそうかな」と思ってしまいました。
こういう暗い歴史の真相は、関係者がなかなか語らなかったりして、闇の中に埋もれてしまっているのではないかと。
どうも戦後まで生き残った提督達が多くを語らなかったことが災いして、太平洋戦争史が歪められて残ってしまったような気がしてなりません。
そのミッドウェーで思い出したのが、猛将と言われた山口多門提督と空母:飛龍で運命をともにした、加来止男艦長は、歴史作家の加来耕三氏とは、たしか血縁関係にあったはず(詳しくは忘れましたが)。
加来耕三氏は、私が最初に読んだ、勝海舟の本の著者でもあり、幕末関係だけでなく結構幅広く書かれていて、何となく安心して読める作家です。
などと書いていますが、また何か気がついたら加筆することにします。
(続く予定)
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篤姫、なかなかに面白いので、大抵はリアルの時間帯で視ていますが、所用があったり移動中だった場合には、後で You Tube の動画か、土曜の再放送で見ることでしのいでいます。
このドラマで最初の頃から出てくる、尚五郎さんですが、この人はいったい何であるのかについて調べてみると、なかなかの重要人物であったことが分かります。
小松帯刀(こまつたてわき と呼ぶらしいです)の名前が有名になっていますが、小松 清廉(こまつ きよかど)という呼び方の方が、正統派の正しい呼び方です。
子供の頃からマニアックというか、没頭する性格が災いしてか、勉学も、琵琶の演奏も、やり過ぎては体を壊す始末。でもその性格が幸いしてか、かなりの能力を持った、非常に優れた薩摩藩の家老職であったとのこと。
この小松帯刀、何が凄いかと言えば、簡単に言ってしまえば、以下の点に尽きるようです。
- 西郷隆盛、大久保一蔵を見いだした名伯楽
- 薩長同盟や薩土同盟の成立にも微妙に関与
- 慶喜に大政奉還を進言したとも
- 坂本龍馬の亀山社中の設立を援助
- 儒学や兵学など、ものすごい勉強家であったことを後に活かす
- 身分は低くないのに、一般平民と平等につきあい、情報を入手
- (まだ整理中なので加筆訂正の予定)
この人、表舞台で華々しく活躍するのではなく、調整や調停、連絡、指導などの、一見すれば地味な役回りを淡々とこなし、幕末から明治維新への大転換を陰で支えた、いわば縁の下の力持ち的な生き方だったようです。
それに、もしかしたら明治政府で総理大臣をやっていてもおかしくないという、当時としては非常に高い評価の人でした。
36歳という若さで急死してしまったので、資料もあまり残ってはおらず、なかなか評価が出来ないのもわかりますが、だから大したことない人物だというのは、あまりにも早計過ぎるというもの。
篤姫というドラマを通して、色々と幕末史の見直しをおこなってゆくというのが、私の楽しみ方なので、あまり過去の歴史観などに惑わされずに、自分の直感を頼りに、新しい見方で歴史を見てゆきたいものだと、常々思っています。
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「今日は篤姫の日だ、嬉しいな」というのが、幕末史につきない興味を持つ私の、偽らざる気持ちです。
何かそう思うだけで、いつもとは日差しまでも違って見えるのは、単に日曜日だからなのか、あまりに子供じみているかも知れませんが、何と言われようが良いんです。
ここで幕末史をちょっと整理するくらいの気持ちで、一体誰が江戸城無血開城を可能にしたのかについて、書いてみることにします。
その時歴史は動いた では、篤姫(天璋院)の力が皇女和宮の力とあいまって、無血開城をなしとげたかのような描き方をしていましたが、そんな単純なモノであるはずがありません。
また、勝海舟と西郷隆盛の会談によって、全てが決したかのごとく書かれている、教科書的な記述も、あまりに片手落ちで無理があるし、本当は山岡鉄舟が決死の覚悟で西郷との前会談をおこなったのに、勝が全てやったかの如く手柄を横取りしてしまった、というのも、父親の小吉譲りの江戸っ子の勝の性格を良く理解していない、勝の言動の一面だけを取り上げた分析です。
それでは、江戸城無血開城をもっと広い視点から見て、どうやってこの世界にも類を見ない快挙が成し遂げられたのか、考えてみることにしましょう。
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ちょっと趣向を変えて、幕末の男たちによる有名な言葉をいくつかご紹介します。
とは言っても、あくまでも私個人が感動した言葉であり、皆様の好きな言葉とは違っているかもしれませんが、順不同に表に思いつくままに書いてみます。
- 吉田松陰
- かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂
- 勝海舟
- 一大共有の海局
- 橋本左内
- 和魂洋才
- 岩瀬忠震(井伊直弼に直接言ったとされる言葉)
- あなたには 大老としての 才能がありません
- 西郷隆盛(山岡鉄舟を讃えて)
- 命もいらず 名もいらず 官位も金もいらぬ人は 始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは 艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり
- 島津斉彬
- 日の丸を 国旗にせよ
- 勝海舟
- 世間は生きている 理屈は死んでいる
- 西郷隆盛
- 天子は天の代官なり
- 当時の川柳
- 太平の 眠りを覚ます 蒸気船(上喜撰)たった四杯で 夜も眠れず
- 吉田松陰(孟子の言葉)
- 至誠にして動かざるもの いまだこれ 有らざるなり
- 坂本龍馬
- 西郷さんは 得体の知れない太鼓です 大きくたたけば 大きく響き 小さくたたけば 小さく響く
- 吉田松陰
- 身はたとい 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留めおかまし 大和魂
これらの言葉が、いつ、どこで、誰に対して発せられたのかと絡めて、幕末史を見ると、なかなかに面白い側面が見えてきます。
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今日は篤姫がある、ということだけで、何だか楽しくなります。
幕末に関する、いろんな角度からの本がかなりの数出てきているので、単に書店での立ち読みだけでも、何かの発見があったりします。
最近よく聞くようになった言葉として、幕末の四賢候という呼び方があります。いったい誰かと思ったら、以下の方々で、よく集まってはミーティングをしていた、老中首座の阿部正弘ともつながりが深かった人たちです。
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四賢候
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藩
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動き
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死因と年齢
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山内容堂
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土佐
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大政奉還の建白書を出した。 あえて鯨海酔侯と自ら称して放蕩で抵抗した歴史もあり。
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脳溢血 46歳
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伊達宗城
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宇和島
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名伯楽として、高野長英、イネ・シーボルト、村田蔵六などに関係。
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病死 75歳
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松平春獄
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福井
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慶喜を将軍にと動いていた。横井小楠、橋本左内、坂本龍馬などとも繋がりあり。
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? 64歳
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島津斉彬
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薩摩
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薩摩藩の改革者であり、洋書の奨励などもあり、実は明治維新への陰の影響力大。
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病死 50歳
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ミーテイングはともかくとして、四候会議と呼ばれた会議には、斉彬なきあとの久光が出ていたということで、久光を四賢候に入れる説もあるようですが、歴史では久光はダメだったと描かれることの方が多いけど、実は以外と優れた人物ではなかったのか、ということも考えられ、もう少し調べる必要があります。
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何かタイミング良く、大河ドラマは篤姫。これでまた幕末関係の本がドッと出るだろうと期待していたら、案の定、いろんな本が出てきているようで、私としては嬉しい限りです。
ここで幕末史に関する本を数冊読んでおくと、大河ドラマも数倍楽しめます。かく言う私も、大奥の内部事情についてはほとんど知らないので、興味津々。
篤姫(天璋院)と皇女和宮の確執や、彼女たちの役割については、勝海舟の、海舟語録 (講談社学術文庫)
などに出ていたので、多少の興味はあったけれども、海舟語録は、当時の語り言葉で書かれているので、面白さは抜群でも、ちょっとわかりにくいところもあります。それを上手く解説してくれたのが、田安徳川家十一代の徳川宗英氏による、徳川300年ホントの内幕話―天璋院と和宮のヒミツ (だいわ文庫 H 88-1)
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この本の中や、大河ドラマでも描かれる予定の人達の中には、非常に優れた人達がいたので、その中から数人を。
- 阿部正弘
- ペリー来航時の幕府老中首座で、薩摩とも近づいたりしながら、かなり大胆な政治改革と政策をおこなった人。なのに歴史ではあまり注目されていなかったのを宗英氏によりしっかり描いてある、魅力多き人。もっと資料が欲しいところ。
- 島津斉彬
- 凄い名君であり、名伯楽でもあったが、なかなか藩主になれなかったのが残念。その後の活躍と産業の跡は歴史に多く残っている。海舟も会って感動したとか。
- 徳川慶喜
- どうも歴史はこの人を無能だとか、劣っていたように描いていたが、そうではなかったらしいと私はずっと思っていたが、そのあたりを上手く表せるのは、徳川血筋の宗英氏が最適なのかも。海舟とも確執を含め深い繋がりがあります。
- 大久保一翁(忠寛)
- 阿部正弘に登用された彼自身も、海舟を見いだした名伯楽。弱者の立場も理解するバランス感覚に優れた人だったが、かなり先見の明があったことなど、あまり知られていない。幕末三舟とも深く関係していたはずなので、調べてみたい人。
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